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東京今昔物語

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江戸城
おはようございます。設計藤倉です。

先日、車で皇居の周辺を走ったのですが、
改めて、その広さに驚きました。

広い…広すぎる。

さて、その皇居(江戸城)…
戦国時代、徳川家康公の居城でしたが、
家康公は、当初、江戸を
本拠地にする予定ではなかったようです。
 
 豊臣秀吉公が北条氏を滅ぼした後、褒美として、北条氏の領地であった関東周辺を
 家康公に授けました。(静岡県からの領地替で所謂、引越です)

 最初、家康公は北条氏の本拠地であった小田原に住もう、としたらしいのですが
 秀吉公の勧め(イヤガラセ?)で当時、さびれた漁村であった江戸を本拠地に選んだそうです。

 そこで都市開発をして、現在の東京の元を造りました。

 その一つに道路も含めれており、5つの道路を整備しました。
 東海道(現在の国道1号線)・日光街道(4号)・水戸街道(6号)・中山道(17号)・甲州街道(20号)
 の5つです。五街道と呼ばれています。(五街道には諸説あります)


131108服部半蔵正成
世田谷の店舗に帰る為、その内の
一つである甲州街道で帰るのですが…

実は五街道の内、甲州街道だけは
特別な存在でした。

甲州(現在の山梨県)は江戸時代、
天領でした。(直轄領)
万が一、江戸で謀反が起き、将軍の身に
危険が迫ったとき、甲州街道を避難路として、
甲府まで避難させる、重要な道路でした。

その際、江戸城の裏口から
脱出してきた将軍を誘導するのが、
その周辺に屋敷を与えられ、住んでいた
服部正成(別名の半蔵のほうが有名!)
と、その部下達です。
 
 そのため、この江戸城の裏口を人々は半蔵門と呼んだそうです。



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 皆さまのご来場、お待ちしております!



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